2020.01.21メールマガジン

20年版の経労委報告を読む

経団連は1月21日、「2020年版 経営労働政策特別委員会報告」(以下報告書と略す)を発表した。これは、毎年この時期に発表されるもので、春闘や今後の労働政策についての経営側の考え方をまとめたものである。政府が企業にベースアップを要請するという現在、春闘という言葉も忘れかけているが、人事、労務、採用担当者なら一通りは、目を通しておきたい文書である。

▼今年の報告書は、サブタイトルで「society5.0時代を切り拓くエンゲージメントと価値創造力の向上」を掲げ、日本社会の将来を見据えた雇用システムの提言をしているのが目を引いた。報告書の内容は、以下のような3章建てで全101ページとシンプルなものだった。

第1章 society5.0時代にふさわしい働き方を目指して
第2章 雇用・労働分野における諸問題
第3章 春季労使交渉・協議における経営側の基本スタンス

▼今年の報告書の目玉は、第1章で、society5.0時代における働き方や従来の雇用慣行の見直し、新卒者の採用改革といった未来志向の提言を熱っぽく行っている。これにくらべると2章、3章は、ベースアップや労働時間など当面する労使の課題を指摘するだけ。春闘での労使交渉も各社の判断で行うことを強調するにとどまっていた。経団連の指導力の低下を示すものといえよう。

▼では、第1章はどんな内容か。ここで強調されているキーワードをあげると経団連が目指すものがわかる。まず、society5.0時代というキーワード。これは、5年前に政府が情報化時代の次に到来する社会として掲げたものでAIやIoTといったテクノロジーが高度に人と関係し合うことによってイノベーションを軸にした新たな製品、サービスが生み出される社会のことだ。そしてsociety5.0時代の企業の課題は、こうした技術によって労働の生産性を高め、高い価値を創造する能力やテクノロジーを発揮できる働き手「チェンジメーカー」を育てることだという。そのために企業は、働き方や日本型の雇用システム、人材育成のそれぞれを見直し、改革に取り組まなくてはならない。この流れは、テクノロジー偏重気味だが総論として異論はないところだろう。

▼2つ目のキーワードは、エンゲージメント。この言葉は、数年前から働き方改革や新卒の採用において盛んに言われるようになった。簡単に言えば熱意、やる気、モチベーションといったことだが、報告書を読むと「働き手にとって組織目標の達成と自らの成長の方向が一致し、仕事へのやりがい・働き甲斐を感じる中で組織や仕事に主体的に貢献する意欲や姿勢を表す概念」と説明している。回りくどいが、理解はできる。そしてsociety5.0の社会の人材育成のカギは、働き手のエンゲージメントであると主張する。では、具体的に企業は、どのように社員のエンゲージメントを高めるのか、報告書では、企業が取り組むべき施策として下記の5つを挙げている。

1.自分の仕事が社会に役立っているという意識の醸成
2.ダイバーシテイ経営の推進
3.社員の能力やニーズに対応した処遇
4.社員の成長を促す職務経験
5.テクノロジーの活用

報告書は、企業がこれらの施策をすることで社員のエンゲージメントが高まるという。この施策の多くは、既存の日本的雇用システムを見直し、改革をしなくてはならないものだが、すでに取り組んでいる施策もある。ダイバーシテイ採用や社員の能力に対応した処遇、社員の成長を促す職務経験などだ。テクノロジーの活用というのは定型業務をコンピュータやロボットに代替させるということで、これも急速に普及している。だが、「自分の仕事が社会に役立っているという意識の醸成」は難問だ。報告書では、「SDGs(持続可能な開発目標)と自社の事業とのつながりを解説するとよい」とアドバイスしているが、グローバル化のなかでの競争激化や株主利益重視の経営との折り合いをどうつけるのか、「解説」は、容易ではない。

▼3つ目のキーワードはジョブ型採用。これはエンゲージメントを高める施策の中で取り上げられているが、「日本型雇用システムの見直し」の突破口になっている。例えば、「エンゲージメントを高めるためには、職務内容や市場価値で報酬を決定するジョブ型の処遇制度を設ける必要がある」あるいは「裁量労働制はジョブ型の雇用システムと相性が良い」と評価している。また、一昨年秋、経団連が、指針からの撤退を宣言したときには、今後の新卒採用の方向として企業に提言をしていたのも記憶に新しい。今回もデジタル技術などの分野の優秀人材にはジョブ型採用が効果的だといっている。

だが、報告書は、ジョブ型採用には課題がいくつかあるという。これまでジョブ型採用が広がらなかったのは、企業の採用方針が自社においてポテンシャルのある人材を長期的に育てていくことであり、エンプロイアビリテイの高い人材を育成しようとしなかったことに原因があったと指摘している。そのため企業は、現在、直ちにジョブ型採用への移行を検討することは現実的でない、などという。結局、当面は、メンバーシップ型を軸にジョブ型を導入するなど複線型の採用制度を準備するなど、それぞれの企業の実情に応じた自社型の取り組みをしたらどうかと提言するにとどまった。採用担当者にとっては、大きな課題が出されたといえよう。

▼4つ目のキーワードは、日本型雇用システムの転換である。society5.0時代の到来、エンゲージメント重視、ジョブ型採用の導入というそれぞれのキーワードが示唆しているのは、これまでの日本型雇用システムが終焉を迎え、抜本的に見直す段階になったということである。これは、今年の報告書の核心である。報告書では、society5.0時代を迎えた現在、戦後、長きにわたって我が国の経営を支えてきた新卒一括採用、終身雇用、年功序列型賃金などの見直しが必要になってきたと指摘している。かつてアベグレンが「日本的経営」で、戦後の日本企業の発展の源泉は、「終身雇用」、「年功序列」、「企業内組合」と指摘したが、報告書では、企業内組合でなく新卒一括採用がクローズアップされているのが意味深だった。経労委報告書なのだから企業内組合の限界や労働組合の衰退ぶりを指摘したほうが日本型雇用システムの終焉がより鮮明になったはずだが、労働組合の凋落に同情して触れなかったのかもしれない。しかし、ここで、新卒一括採用が出てくるのは、すでに指針が廃止、通年採用が導入、ジョブ型採用も検討され始め、AI採用も拡大ということで新卒の雇用システム転換が具体的に始まっており、経団連として取り組みやすい分野だったからだろう。

▼このように今年の報告書の内容は、採用担当者にとって興味深いものとなっている。とくにエンゲージメントへの取り組みは、従業員向けのエンゲージメントはともかく、新卒採用では、すでに取り組んでいるからだ。例えば、採用PRでは、企業の社会的な役割や責任を正面から論じ、個人の役割ややりがいを語るクチコミの発信、学歴不問や既卒者など多様な人材を広く募集する活動、柔軟な雇用形態の拡大、年俸制の導入、グローバル採用の強化、職種・コース別採用、AI採用など、ここ数年、企業の新卒採用はまさしくsociety5.0時代を先取りしたエンゲージメント採用を目指してきたといってよい。

また、採用担当者にとって関心の高いジョブ型採用については、すでに高度人材については、通年採用と併用して導入、初任給や配属など抜本的な改革を行っている企業が相次いでいる。しかし今後の方向性については、新卒一括採用や終身雇用、年功序列型賃金が時代に合わないと述べていながらもメンバーシップ型にはメリットも多く、直ちに全面的にジョブ型への移行は現実的でないと慎重だ。たしかに経団連の調査を見ても新卒採用でジョブ型を目指す企業は、まだ3割程度だからジョブ型への移行はまだ先だともいっている。一体、経団連は、ジョブ型採用にどう取り組もうとしているのか、方向がよく見えないのは困る。

▼このほか、今年の報告書には気がかりな面もいくつかある。例えば、優秀人材の採用や定着、制度改革には大胆で、熱心だが、大多数を占める一般?人材の採用や処遇はどうなのか、彼らにもエンゲージメントは不可欠だろう。組織が全体としてどのように運営されるのか、ベンチャー企業ならともかく、優秀人材だけで企業が動くのだろうか、それにITテクノロジーとその担い手に対する過剰な期待に危うさはないのだろうか、優秀人材ほど転職したり起業したりする傾向があるだけに定着率はますます下がり、社風の荒廃や社員のロイヤリテイが低下することも危惧される。

当面、アベノミクスの大きなモメンタム(勢い)は続くだろう。つい先日も政府は、未来投資会議を開催、一括採用の見直し、通年採用の拡大を提案、労働、雇用、教育などの分野においては、大胆な改革が進めていくことになるだろう。今後の採用戦略のためにも採用担当者は、時には、政府や経済団体の雇用政策の大きな流れにも目を向けてほしい。(夏目孝吉)

メニューの開閉